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| 12月9日 ヴェロマガジンのルソー記事について
ルソーの記事が掲載されていたので抄訳とコメント。 VELO MAGAZINE 415号 2004年12月・2005年1月 フロリアン・ルソーがコーチになるために競技から離れようとしている今、我々が自発的に、トラック選手の中で一番多くのメダルをもらったこの選手について考えていることを述べよう。 我々にとって、フロリアン(ルソー)は… ・ 敵対心を示す眼差し 自分の前のスペースに、ある特定の点にじっと注がれ、多分、ある選手の顔、スタートラインの後ろで、自分の隣に立っている対戦相手の顔に結晶する視線… フロリアン・ルソーが自分の力を全て集める最後の瞬間には、そのような眼差しがエネルギーを頭の中に、それに腰と足の中に集めるための自分なりのコツだった。エネルギーの完全動員、極端な集中力、最高のモチベーションを得るための方法が、それそれのチャンピオンによって違うから、ルソーがそれを「自分の心の奥庭」だと言っていた。1992年から今年まで、13シーズンもの間ずっと世界の最高レベルで活躍してきたフロリアン・ルソーは、何度も何度も写真に撮られたその敵対心を示す眼差しだった。 ※ 実際ルソーがスタート前に集中した時の顔つきは鬼のようであった。しかし、これがカッコイイんですよホント。 ・ 隙のない誠実さ フランスのプロ・チームが彼に興味を示さなかったため、ルソーもコフィディス・チームに入団することが出来ただろうが、彼にはINSEPやフランスのナショナル・チーム以外の組織が要らなかった。自分の自由を守るために最初から個人の選手としてスポンサーになってくれた会社(最初はプリマガズ、エルコワフ、それからキャリアーの終盤にルクレールとアルカテル)と技術の面でのパートナーだったルック、マヴィック、アディダスに、最後まで、自分の信頼を与えた。それはジェラール・カンタンとの絆に似たような隙のない誠実さである。トラックの上では、選手のルソーがいれば、コーチのカンタンも必ずいた。ジェラールが何かを提案すると、フロリアンが受け入れる。一人がある考えを提示すると、もう一人がちゃんと聞く。フロリアンが優勝すると、ジェラールが喜びにあふれる。一人が苦労すると、もう一人の顔が青くなる。今、告白するカンタン:「東ドイツやロシアの選手なんて破ることが可能だと僕らに意識させてくれたのはフロリアンだ。僕を成長させてくれたのも彼だ。」 ※ コーチとの信頼関係がよくわかる。強い選手は人間的にも素晴らしいのだということを納得。 ・ 無傷のひじ フロリアン・ルソーはファイトを示して走っていたが、いつも全く正規の走り方で。危険な行動をしたり、自分のラインから出たり、悪意をもってひじ動かしたりして戒告されたことも、まして降格されたことも一回もない。彼のフェアな態度が世界中のトラック競技場で褒められてきたが、そのひじがずっと無傷のままだったのに、一回だけ、不当に扱われた。それはイエールで開かれたフランス選手権の際だった。その時、ケイリン競技に参加するチャンスを追求していた彼は、そのせいでチャンスを失い、2003年の世界選手権に出場するナショナル・チームに選抜される唯一のチャンスを失ってしまった。しかし、観客が皆、怒って審判にうるさく反対を表明していたのに、そのようなひんしゅくを買うような判決が下されても、フロリアン・ルソーは文句を一つ言わなかった。 ※ 彼の選手としてのモラルの高さ、紳士ぶりが浮かび上がる。実際接してみてもとにかく「好青年」という印象がある。 ・ 史上、一番多くのタイトルをもらったフランス人男子選手 オリンピック・タイトル3つ、プラス、オリンピック・メダル4つ、世界タイトル11、プラス、世界レベルのメダル17、ナショナル・タイトル10、プラス、ナショナル・レベルのメダル16…フロリアン・ルソーのはフランスのスポーツ世界での男子チャンピオンの一番豊かな戦歴だ。まず1キロメートル・タイム・トライアルに、それから個人スプリントにささげられた経歴の間、ルソーは3回も1キロメートル・タイム・トライアルの世界チャンピオン(1992年、まだジュニア・クラスだった時、それから1993年と1994年)になり、3回も同種目のオリンピック・チャンピオン、1996年にオリンピック・スプリント(ガネと、トゥルナンと)、と2000年にはケイリンのオリンピック・チャンピオンになった。シドニー・オリンピックの際、フランス人スポーツ選手の中で一番多くの褒美をもらったのは彼だ。当時、個人スプリント競技の準決勝でロラン・ガネを破った一時間後、決勝戦で負けてしまった。それに、他に誰もやったことのない偉業をやってのけた:1996年、一つのシーズンの間に1キロメートル・タイム・トライアルのオリンピック・チャンピオンと個人スプリントの世界チャンピオンになったのだ。 ※ やはり彼は一時代を築いたスプリンターだ。膝を故障した2001年以降はパットしない成績が多いが、そんな時でもスプリント予選のハロンタイムなんかは常にトップクラスだったように思う。 ・ 大した股囲 左足も右足も65センチ。その大したサイズを得たのは14年間も苦労しながらずっとやってきた筋肉トレーニングの結果だ。フロリアン・ルソーは東ドイツの選手が使っていたこの筋肉強化法を実験してみた初のフランス人トラック選手だった。スクワットやスタンディング・スタート(一つのシーズンの間に計画されていた100?110回の筋肉トレーニングの時、毎回20トンを持ち上げたと同じような訓練)を何千回も繰り返した結果、印象的な肉体を鍛えてきた:2004年には身長182センチに、体重85キロ。その太くて、血管のしまがはっきり見える足を見ると、誰も日常生活では幅広いズボンしか履けないだろうと思っていた。しかし、ジャージーを身につけている時、あまりにもエレガントな印象を残していたため、ある日、ダニエル・エシュテールのファッションショーにモデルとして参加したことがある。 ※ モデルというのも頷ける、ルックスもいいし、締まった肉体と好青年となれば何でもOKですね。 ・ 並外れた技術者 彼が実感したことを説明したおかげで、主としてルック社とマヴィック社がフランスのスプリンターたちに自由に使わせている用品を少しずつ改善することが出来た。彼の指摘の適切さがずっと昔から彼をまるでテストパイロットのような、用品の改善を担当するエンジニアのように重視される選手となった。そして、少し時間が経ってから、外国の優れたスプリンターたちもそれで改善された用品を購入していた。例えば、今年はルック社の新しい自転車を使ったのはフランスの選手だけだ。訓練の時、注意深く聞いている技術者の前でフロリアン・ルソーが出来るだけ正確に自分の印象を語り、アイディアを提示していた。彼はそういう人だ:常に物事を改善できると思っている人だった。 ※ ここまで来ると完璧なトラック競技界の「優等生」だったことがよくわかる。勝利に向けては機材に関してもかなり研突熱心だったのだろう。
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